教会で練習をしていると、いろいろなひとたちにお会いします。
静かにお祈りにいらっしゃる人。
お祈りにいらしてる人に気が付いたときは、なるべく音を小さくして、現代曲ではない静かな曲を練習するようにします。
でも、気がつかずに、どんがらと騒々しい曲を練習したあとにオルガン席から降りていったら、お祈りをしている方がいらして、「あらまぁ〜、大変失礼しました......」と思う事もある。
先日も、そうだった。
あらら、悪かったなぁ、ごめんなさい、と、心の中で思いながら教会の外に出たら、その人が後をついて出て来た。
「今、オルガンを弾いていた方ですかっ?」
と聞かれたので、
「うるさかったわよ」
と怒られるのかなぁと一瞬身構えたら、
「今の、ナマ演奏だったんですよね?」
と聞かれてしまった。
「ナマエンソウ?????」(ほにゃ?????)
いやぁ〜、別にナマエンソウしていた訳ではなくって、練習していただけなんですけどねぇ。
それに、パイプオルガンは、「コンサート」という感覚はあっても「ナマエンソウ」という感覚はもつことがないようなジャンルの楽器。
ちょっとずっこけたけど、
「初めてオルガンのナマエンソウ聞きました!ありがとうございました!」
とまでお礼を言われてしまって、もっとずっこけそうになった。
でも、そうやって聞いていてくれたんだなって思うと、うれしかった。
教会には、カップルもよくやってくる。
結婚式の下見にくる人や、静かに時を過ごしたい人たちなのかな。
10年以上前の話。
コンサート直前だったので、バッハのパッサカリアを本番に近い音色で通して弾く練習をしていた。
そうしたら、カップルがパッサカリアに合わせて、結婚式さながら教会の真ん中の通路を通って、祭壇の前にまで歩んできた。
どうするのかな、と、オルガンを弾きながらも鏡ごしにちらちら見ていたら、なんと、音楽がクライマックスに達したところで、祭壇の前でディープキスを始めるではないか。
一瞬むっとして、ここで私が弾くのやめたら興醒めになるかなぁ、びっくりするかなぁ、と思い、意地悪して弾くのを急にやめてやろうかと考えたけれど、それもなんだか癪にさわるので、結局最後まで弾いた。
そのカップル、パッサカリアの終わりまで祭壇の前にいて、パッサカリアが終わったら帰っていった。
あの人たちは、幸せになっているといいなぁ、と、ときどき思いだす。
母親に起こった話。
夕方、少し暗くなったところで電気を付けずに練習をしていた。
そうしたら、突然、中年の女の人がオルガン席の後ろに仁王立ちになっており、
「あんた、なにをやってのよ!」
と、バコンと頭を叩かれたそうな。
怖いという感情も、腹が立つという感情も、出て来たのは後になってから。
その時は、何が何だか訳が分からず、母はポカンとしていたらしい。
それでも数日間は気味が悪く、教会では練習をしなかった母。
しかし、しないでは済まないのがこの商売の因果なところ。
仕方が無いので意を決して教会に練習に行ったところ、又、その女性がいた。
しかし今度は
「練習に来たの?偉いわねぇ〜。」
と、ニコニコと褒めてくれたそう。
何が起こるか判らないのも、教会である。
でも、
「うわぁ〜、この和音最高ぉ〜〜〜!!!!!!」
と、
音楽にゾクゾクと高揚感を感じながら、
異性にさえも全く感じない興奮をオルガンの響きには覚え、
自分は減七フェチではないかと思いながら練習している私が、
もしかしたら一番変なのではないかと、この頃気が付いた。