まず。
新しく曲を始めるときには、楽譜というものを読まなければいけません。
人によって初見演奏が得意な人と、そうでない人といますので、ケースバイケースですが、私の場合、結構初見がきかない。
勿論職業なので、ある程度はできますが、たまに、ヴィドールやメシアンやレーガーなんかの、音符がいっぱいいっぱい並んでいる楽譜とかまで平気で初見で弾いてしまう人がいる。
ウチのママもレーガー(結構大きめの曲)なんか、ぱらぱらと初見で弾いている。
あれは私にはできないよ。
大学時代についていた師匠のシュトックマイヤー師は、とにかく何でも初見で弾ける人。
何でも、と言ったら、本当に何でも!
驚異的な人もいるもんだ。
初っ端から話ははずれますが、楽譜を「読む」のが面倒で、自分でつらつらと楽譜に書いてある「ような」ことを即興していってしまうオルガニストのタイプもヨーロッパには多くいます。
あれもうらやましい。
という訳で、今はまず、楽譜の音符は読めるけど、手足がついていかないよぉ、という想定から話を進めます。
音源などを耳で聞いて、曲のイメージがある程度あることも助けとなると思います。
イメージがあるのとないのでは、到達すべきゴールが想像できるのとできないのの違いがあると思うので。
でも、弾く=手と足を動かして、なおかつそれを聴いて、自分の創りたい音楽を実現する行為は、自分でしかできません。
誰も手伝ってくれない。
ので、自分で自分の体がコントロールできるようにするのが、まず最初の練習の段階です。
ということは、
手と足の動きが自分でコントロールできる速度から練習を始める、
のが最大の原則。
パイプオルガンという楽器は、使う手足の部分が多いだけ、他の楽器よりも「体育会系」の練習が必要だと思ってください。
決して、体がまだ全然憶えていないのに、早いテンポ、もしくは弾けないテンポで何度も何度も弾いてみる(まぐれで弾けるかもしれないしって...?)ということをしてはイケマセン。
それでは脳が、「弾けない」ことを学習してしまいます。
それよりも、楽譜のなかで一番小さい律動を探してみてください。
それは16分音符かも知れないし、32分音符かも知れませんが、曲によれば4分音符や2分音符かも知れません。
とにかく、曲のなかで、一番細かい動きが余裕で弾けるテンポを探します。
極端な場合、32分音符=メトロノームの40、ということも有り得ます。
それでもめげずに、そこから始めましょう。
最初のうちは、あまり沢山の小節数をよくばって一気に弾こうとすると、頭に入っていきませんので、曲を分割して練習することも大事です。
1列なり、1ページなり、8小節なり、曲の難易度と自分のペースで無理のない単位を決めてください。
そして、急がば廻れ、の精神で、この一単位を繰り返し、メトロノームのテンポをだんだんと上げながら弾いていきます。
テンポ40で弾けたら、テンポ42で弾きます。
それができたらテンポ44...というふうに。
弾けない部分があれば、その部分を分解してでも、ピックアップしてでも弾けるようにしましょう。
とにかく、どんなに遅いテンポでも、しっかり弾けることが大事です。
テンポ40で弾けなかったものがテンポ60で弾ける訳がないからです。
そうすると、そのうちに、もうこのテンポが今日の限界!というところまで到達すると思います。(その前に最終テンポに到達していれば、ラッキー!っと喜びましょう。)
そこまで練習した自分を褒めてあげて、次の単位に移って、又テンポ40から始めます。
もしくはふぅ〜っとお茶を飲んで少し休憩するか、体操をするか。
こうやって書いてみると、とても原始的で、つまらないものに思われてくるかも知れません。
でも、結局は、楽譜を見て、それを手はまだしも足という脳から一番離れた体の部分を使って演奏するという、非常に複雑な行為を、脳に刷り込ませないといけないのです。
そして、ゆっくり弾く、ということは、
ゆっくりと「聴く」ということにもつながります。
ものすごい早口で喋られて聞き取りにくい言葉も、
ゆっくりと話されれば理解できますね。
音楽も、最初はゆっくりと弾きながら聴くことにより、普段「演奏会テンポ」で聴いていることよりも、もっと沢山のことが聴こえてくる筈です。
早いテンポだと聴こえてこないような、なんだか面白い響きや、フーガの構造なんかも。
私の場合、初見はあまりききませんが、こうやって、ゆっくりゆっくりと曲を練習し始めることにより、最終テンポに到達した頃には、自分で創りたい音楽的な解釈も大体ができています。
そうそう、手と足の関係、ですが、やはり手はいつも使っている分、飲み込みが早いですね。
ですので、私は大抵の曲は、一度はピアノ上で、手の部分だけインテンポ(最終のテンポ)で弾けるようにしてからオルガンに移って、又ゆっくりのテンポから始めるようにしています。そうすれば、手と足の両方に気を取られることがなく、足の方に集中して弾くことができます。
オーケストラの指揮の場合でもそうですが、指揮が必要なのは、まず、一番「弱い」箇所です。オルガンの演奏をする場合も、体の中の一番弱い部分に注意をむけられる体制を作っておくことが大事だと思います。
......とか何とか書いていますが、実は、私、これから練習しなければならない。
それが嫌で、ブログに逃避しているのかも......。えへへ。
練習するという行為は、ゴールに到達できていない自分とも真っ向に向き合わないといけないということでもあり、その不安感や焦燥感ともうまくつきあっていかないといけないということでもあると思います。
それが嫌で、結構、練習したり、新しい曲を憶えたりするのが億劫。
でも、その後の「弾けた!」嬉しさや喜びを経験できるのも、演奏する人間の幸せです。
しょうがないので、今から練習に行ってきます......。
(写真は、子供の頃に練習するのが嫌で、腹をたてて噛み付いた後がある実家のピアノの椅子。)