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風琴亭

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2020年11月21日(土)にリサイタル「無言歌」を行います。

リサイタルの告知です。
パイプオルガンのコンサートを企画しました。

パイプオルガンソロと連弾による「無言歌」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)とトーマス・マイヤー=フィービッヒ(*1949)の作品

11月21日(土)愛知県芸術劇場コンサートホール
13:00 開場  13:45 開演
入場料 3000円 全自由席
名古屋市民芸術祭2020参加公演

J. S. バッハの作品と、夫の作品を交互に演奏します。
バッハの作品は4つのデュエット以外は初期〜中期の作品を選択しました。
夫の作品は、パイプオルガン連弾2曲も含まれています。

大きな高揚感や熱い想いを届けるコンサートではなく、お客様一人ひとりがそれぞれの思いに浸ることができる、静かなコンサートにしたいと思い、「無言歌」と名付けました。

チケットは
二宮音楽事務所 052-505-0151
チケットぴあ Pコード188-018
愛知芸文プレイガイド
  で取り扱っています。



以下、チラシ文面です。

 コロナ禍は音楽や芸術に携わる者にとって容赦無く表現の場を奪い取り、それまで当然であったことが全く当然ではない世界を私たちの前に突きつけた。
 「表現することは生きること」と保育士・幼稚園教諭養成課程で教え続けた教員としての存在や、心に届く音楽の響きを探求し続けた音楽家としての存在も、足元から崩れていくような日々だった。6月以降芸術活動は徐々に息吹返しているが、刻々と変化する状況の中、未だに暗雲が晴れる気配は感じられない。

 創作や演奏に携わる芸術家として現在何が表現できるのか、したいのか、発信できるのか、自問し続けている。発信したいメッセージは星の数ほどあるが、祈ることしかできない今、「祈り」をテーマとしたパイプオルガンのプログラムを構成することは軽薄だと、人生で初めて感じた。人間の根本的な存在意味について考えているうちに「光」をテーマとしたいとも思いプログラムを構成し始めたが、事態の収束が見えない今、演奏家として「希望」については表現できないと、限界を感じた。
 最終的には、コロナ禍が、演奏者や表現者だけではなく、聴衆にも社会にもこれまでに経験をしたことがなかった様々な感情と現実に直面させた事実を思うと、演奏者の一方的なメッセージを押し付けることはせず、聴衆が感じ取りたいものを感じることができる機会を設けたいと考えるようになった。そして、未だに思うように言葉を発することができず、表現活動をすることができない芸術家にもなぞらえて、コンサートを「無言歌」と名付けた。

 演奏する作品は、神への信頼のうちに純粋な祈りの音楽を追求し続けたバッハの曲を軸とするが、円熟した後期の作品ではなく、バッハ自身がまだ探求途中であった前期から中期にかけての作品を敢えて中心に据えた。後期の作品からは、小品である4つのデュエットを選択した。
 バッハ作品と交互に、今、共に名古屋でコロナ時代を歩んでいる作曲家マイヤー=フィービッヒの作品を対比させ、無調性でありながらも響きと調和に重点を置く現代(いま)の音楽を提示する。
 両者とも深いプロテスタント信仰に根付いた作曲家であり、多数の讃美歌を定旋律とする作品が存在するが、今回は意図的に讃美歌のメッセージ性も排除し、「前奏曲」など抽象的な内容の作品のみを演奏する。

 人間には個性と同じく一人一人異なった感じ方があり、様々な表現がある。
 感情表出としての表現も、芸術活動としての表現も、聴き手であれ演じ手であれ、そこに何らかの心動く経験や呼応が生まれることが、次の瞬間とこれからの時を築く新しい創造の力になると考える。
 「無言」を通して聴き手自身に様々な想像を委ねることは、想像が創造となって、この時代を歩んでいく為のたくさんの小さな原動力となるかも知れない。何かを感じてもらえれば良いし、感じずにただ音楽に身を委ねてもらえるだけでも良いと思う。
 しかし、響きと思いは必ず何かを動かすと、信じている。(2020.08.20.)


チラシのpdfがうまく統合されなくて、表面の下半分がよみにくくてすみません。本物は、ほぼモノクロです。
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by mausmirabilis | 2020-09-21 18:33 | コンサート関係 | Comments(0)