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風琴亭

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フォーラム4回め 終わり。

ドイツにいた時は、毎日電話ができない母への報告を兼ねて、日記代わりになるべく毎日ブログを更新するようにしていたけれど、日本に帰ってからはちょっと気が抜けたのと、なんだか余裕がなかったのと。

昨日、4回めの「教会音楽フォーラム」が終了。
今回は「聖歌と賛美歌の歴史」。
後から気が付いたのだけど、「歴史」って言うと結構大掛かりだ。気が付いて冷や汗が出た...。

でも、最初からご紹介したかったのは、いくつかの聖歌が辿ってきた数奇な歴史。
グレゴリオ聖歌の時代でさえ、アレルヤ唱から続唱が発祥して、そこからドイツ語のライゼンが発祥して、なおかつルターによって賛美歌となったものとか。
そんな意味で、一つの「聖歌」にも「歴史」があるっていうことをお伝えしたかったのだけど、良かったかなぁ......?

あと、聖歌の持つ、いろいろな内容もご紹介したかった。
Es ist ein RosとかWie schoen leuchtet der Morgensternとか。
詩の内容や成り立ちや、いろいろなこと、学生の時以来調べていたらワクワクする程面白いものだったので。
でも、準備していくうちに、あれん〜、これでは絶対時間オーバーになる...って思った。それに、なんだか内容に統一性がなくなってきたので、やっぱりそこまで踏み込むのは、今回無理だな、とも。

ま、取り敢えず、90分と5分ぐらいのオーバーでVeni Redemptor - Nun komm, der Heiden Heilandや、上記のAllelujaからChrist lag in Todesbandenまで、あと、ルターまで辿り着いたので、いいか。

フォーラムの部分では、「言葉」に関する意見や質問も出て、私は面白かったと思うけど。
いらした方は、どうだったのかな?

ラテン語での典礼音楽、ドイツや日本における国語典礼、「非日常世界」として典礼の中で神に出会うか「日常生活」の一部として典礼に参加するか。
典礼への行動的な参加のためには自国語での典礼における祈り、賛美が必要だけれど、信仰、という、結局は目に見えない神の存在を信じるという行為、理性的には「信じる」しか方法がない上で、自国語でないラテン語などの言葉のうちに含まれる神性を信仰のうちに心で感じることができる機会も大切なのではないか、とか。
「何がよくて」「何がよくない」という結論を出す場ではないし、勿論出せない。私は、ラテン語典礼も国語典礼も、フォークミサも、全てが正しいと思う。自分の感性に合うかどうかは別として。
でも、意見を発言してくださった方、それぞれの発言に、常に新しく鋭い観念や指摘があり、とても新鮮な体験だった。感謝。

それにしても、キリスト教会って、これだけ長い歴史の中で、これ程までに芸術や文化の宝庫でもあるのに、日本のカトリック教会が教会音楽として「使って」いるものは、ほんの数パーセント(にも至らないんじゃないかな?)。
教会音楽が持っている福音の告知の可能性はもっともっと深く、大きい。

もうそろそろ、一つの方法に固持するのではなく、教会が持っている可能性を多いに使いこなすことに目を向けてもいい時期に入っているのではないかな?とも思う。




フォーラム4回め 終わり。_f0160325_13381357.jpg

...マック君、黒猫キキに爪をたてられてぐらぐらしていた「S」がついに剥離。
これって修理できるのかなぁ...?
でも、そろそろ新しいマック君が欲しいなぁ。今のマック君遅くなってきたしなぁ......。
by mausmirabilis | 2010-09-18 23:56 | 教会音楽フォーラム