少し前に行ってきました、富士額のねずみのいる国、ディズニー・シーです......。
ディズニーの映画は、とっても好き。
クラシックな白雪姫とかバンビとか、見て育ったからかな。
新しいのも好きです〜、ファインディング・ニモ、モンスターズ・インク、スティッチも大好きだし、ムーランも良かったなぁ。
最近では、レミーのレストランとか(o^^o)
でも、世界中のどこでも、猫も杓子もディズニーディズニーっていう感じで物やメディアを売りつけられるのは、ちょっと興ざめするなぁ。
ドイツで買ったディズニー・パリの旅行案内所には「ディズニーランドは決して慈善施設ではありません。スクルージ伯父さん(ドナルドの伯父さんで、とってもケチでお金持ちなアヒル)の精神はディズニーランド中どこにでも漂っています」と書いてあった。これも確かに、言えているかも。
ディズニーランドやシーに行ってミッキーやミニーちゃんなんかがいるのはいいのだけれど、あの中にも私や君と同じ人間が入っていて、仕事が終わると「あ〜、疲れた」...なんて思いながら京葉線に乗って家へ帰っているのではないかと思うと、少し複雑な感じがする。
パリのディズニーランドに行ったときも、デイジーの着ぐるみから出ているタイツの足がとても華奢で、中に入っている人は絶対私よりも小柄な人でしかありえない!......で、ヨーロッパでそんなに小柄な人、どうやって見つけたんだろう......っていうことの方が気になってしまったことがあった。ペンギンは、タップダンスが上手だったからダンサーが入っているんだろうし。
だから、ミッキーとの写真撮影に並ぶ......ということはあまり性分ではないし、お土産屋さんみたいなのも興味はないのだけれども、それでも何だか1年に1回ぐらいはつい、ふらふらと行きたくなるディズニーランドやシー。
これもディズニーの魔法???
私は乗り物系が大好きなので、そんなのに乗りたいのもあるのだけれど、何よりも、「非・日常空間」に逃避したいのかなぁ、とも思った。
逃避旅行を計画するのは、とっても楽しい。大きなホテルは好きではないけれど、たまにシェラトンにお泊まりできるのも、何だかうれしい。イクスピアリの舞浜ビールは文句なしに美味しいし。
そして、何もかもが、非・現実的な場所で日がな一日うろうろと散歩しがてら、遊園地の遊具に乗って遊んで、「あ〜、もう1日いたいなぁ...」なんで思いながら帰路について。
その後数日間はなかなか魔法が解けず、あてもないのに、やたらと次にいく予定をたてたがる。
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人間の魂が人であることを終えて、「あ〜、疲れた!」...なんて言いながら魂の存在として愛と光のうちに帰ってきて休むのだけれど、幾ばくか休息すると、「人間であることも、やっぱり楽しかったなぁ」なんて思いながら、又、人間になる計画をたててしまうのではないか......なんて、ふっと思いついたりもします。