今日はH教会で、死者の月である11月にレクイエムをグレゴリオ聖歌で歌うためのお勉強会、というか、練習の日でした。レクイエムのテキスト(祈祷文=聖歌の歌詞)はとても深いものがあり、グレゴリオ聖歌の旋律も復活祭のグレゴリオ聖歌と非常に強く関わっていたりして、決して軽く歌えるものではないのです。特に、「死」という私たちには計り知れなくもあり、しかし誰にも避けて通れるものでもないことは、多くの宗教の根本にあるものでもあり、最終的には今ここで生きている人間の誰にも判り得ないこと。
しかし、グレゴリオ聖歌は、復活の希望に満ちた旋律に死者の為の典礼の祈りを織り込むことにより、間接的でありながらもその旋律をとおして非常に直接的に、信仰を再度確認し、神による恵みと救いを再度実感できる素晴らしいものであると、関わる度に思い起こされます。
今、特に自分の母教会については、非常に複雑な思いでいる私です。教会とはなんだろう、信仰とは何だろう、日本におけるキリスト教会ってなんだろう、日本という「異文化」におけるキリスト教の信仰って何なのだろう、などと、本当に沢山のことを考えさせられています。
遠藤周作の「沈黙」を改めて思い起こしてもいます。
そんな中で、今日は、やはり教会音楽家でいて良かった、と感じました。
ありがとうございます。